satoko.me


3月11日から、2ヶ月近く経ちました。
地震、津波、原発、こどもたちへの影響、食べ物や水のこと・・・
いろいろ書きたいと思っても、うまく言葉にできなくてその都度なんでこんなことになってしまったのかと胸がつぶれそうになる。
そうやってしばらくはずっと時がとまったような感じだった。
ただただ今は、被災地が一日も早く復興することを祈りつつ自分にできることをやるしかない、と思っています。粛々と。

揺れた瞬間は1人で家にいて(11階建ての5階)「ちょっと大きめの地震だな?」ぐらいに思ってたんだけどしばらくして
「あれ?揺れがおさまらない…どころかひどくなってる!?」
と気がついた瞬間、突然18歳の時に経験した阪神大震災を思い出してがくがく手が震えてどうしていいのかわからなくなった。
これまで「阪神大震災経験者だから地震に強いの?」みたいな目で見られることが幾度かあって
「まあね、ちょっとやそっとじゃ驚かないワヨ。ふふ」
みたいな妙な自信をのぞかせたこともあったが、正直に告白すると

「全然強くない。むしろ(トラウマになってるから)弱い」

という、皮肉にも本当の自分をこの機会に再発見した。
覚えている限り地震は5分以上続き、その間わたしは落ちて来る戸棚の本を押さえたり、割れた花瓶におろおろしたり、兄と電話で「直下型ちゃうから大丈夫」と言い合ったり、本当の自分を再発見したりと忙しかった。
その後友人達と「地震の瞬間どうしてた?」みたいな話題になるたび、どうにもこうにも一言で言い表せないのだった。

そう、奇遇にもその時、東京出張の兄と電話中(年に1回程度しか上京しない&年に2.3回しか電話しないのにこの地震にぶちあたるという呪われた兄妹)で「おお、めっちゃ揺れてる!が、街路樹がめっちゃ揺れてる!」とひとしきり動揺したあと兄が妙に冷静な声で「…大丈夫や、これは直下型じゃないから。」と言い放ったのが印象的だった。
最後に弁護士としての冷静さを無理矢理とり戻したかのようだった。

その後、1週間ほど実家の神戸に疎開したり、個人的にわたわたしたりと慌ただしい毎日を送っておりましたがみんな元気です。
レンも金八先生でいうところの「腐ったミカン」よろしく制服を断固着ようとはしませんが、4月から立派な幼稚園児として元気に通っています。
わたしも7時に起きてお弁当を作って自転車に飛び乗りツール・ド・フランス並みのスピード(いつも余裕なくてギリギリだから)で246を駆け抜け、幼稚園の教室の前で逃げ惑うレンをなまはげのように追いかけ教室にぶちこむ…
そんな毎日にちょっとずつ慣れ始めています。(ほんとかな)

まずは自分たちが、新しい生活に慣れて生活基盤を整え経済をぐるぐる回していかなくちゃな、と微力ながら考え中。

*写真は3/11電車が全線ストップしてゾロゾロ歩いて帰る人々と車で大渋滞の246。